夏のセミナー2016 まとめ

これでよいのか日本の教育改革

−地域社会と教師の共同を求めて−

 

全進研 夏のセミナー:2016 まとめ   (文責)共同代表:遠藤

日時:2016年7月31日(日)

場所:東洋大学白山キャンパス スカイホール

 

午前の部

開会 司会(世話人:荻野)

暑い中おつかれ様です。熱中症に注意して、有意義な1日にしたいと思います。

 

挨拶(共同代表:綿貫)

 暑い中、お疲れ様です。共同代表の綿貫です。

私ども全進研は、2012年夏の50回大会まで、3日間に及ぶ研究会を行っていたが、翌2013年からは会費は取らないかたちで運営している。年4回のセミナーを企画し、一緒に学び合う会にしてきた。今、私たちの社会は、大きな岐路に立たされていると感じている。子どもたちの進路は、そのままこの国:日本の進路であり、気が気でない状況がある。

 私自身は教員を退職後、引きこもっていた若者の支援をしている。昨日は、BIG ISSUEなどが主催するフットサル大会があり、居場所の若者たちのチームを応援してきた。また、複数の大学で教職課程の講義を担当している。今回の資料として講義通信を入れた。若者たちや教職を志す学生と接していて「感覚の違い」を感じている。良い悪いではない。その「ギャップをどう埋めていくのか」ということも課題と考えている。講演の山本さん、今泉さんの報告を受け、現場からの声も聞きながら、学びあう場にしていきたい。

 

会場校挨拶(東洋大学:小澤さん)

会場校担当3回目。大学も様々な課題をかかえている。このような研究会は、「今の社会の危うい空気」に対する対抗火。ともに学びたい。

 

講演  

※講演の資料(データあり) 

全進研にパワーポイントのデータを提供していただきました。無断で複写複製、使用されることは固くお断りいたします。

 

⇒講演レジュメはこちらから

 

これでよいのか日本の教育改革

−地域社会と教師の共同を求めて−

 

講師:山本 由美さん(和光大学教授)

 

わたしは、教育制度学の研究者。編著である「学校を取り戻せ!」ができたばかり。講演の内容に関わった本である。

 

.日本の新自由主義教育改革についておさえておく

◯前期と後期に分かれるが、前期は06年から07年。競争的環境づくりによる公教育の再編。同時に新しい市場の開設を目指している。

アメリカでは新自由主義教育改革を構成する制度で教育内容に国が無制限に介入できることが前提になる。

◯第2次安倍政権は「後期」新自由主義教育改革。

グローバル企業が求めるグローバル人材を養成するために、直接教育に手をつける。

平成の学制大改革の中で、大学教育の多様化→高校教育の多様化→中等教育からエリート育成

◯公共施設総合管理計画(2014)、統廃合「手引き」(2015)、小中一貫法制化と3点セットで、地域の学校を統廃合へ追いやっている。コンサルタントが計画を策定するので、地域の子どもの実態は無視。「小1プロブレム」「中1ギャップ」「グローバル英語」など問題が噴出。義務教育学校法制化決定(2016年) 22校の義務教育学校ができたが、過疎地の小規模校と都市部の大規模校に2極化。新しい小中一貫校は連携型と併設型がある。コミュニティスクールを「活用」学校運営委員会を設置して、「行政の意に沿う人」を配置。

◯学力テスト体制はPISAの変化と新タイプのテスト拡大。ゼロトレランス、道徳「特別の教科化」。

・リーダーは英語力+日本人としてのアイデンティティ

・非エリートはゼロトレで従順に

 

.アメリカの教育改革  学テの点数よる統廃合

◯「1人の子どもも落ちこぼさない法律」ができた(2002年 ブッシュ政権)

・学力テストの達成率12年で100%  ・ノルマが達せないとペナルティ

◯小中一貫校のモデル  デトロイト市では統廃合が急速に進んだ

◯グローバル都市、シカゴでは1988年 学校改革法 学校協議会(LSC)を全学校に。公選制の協議会・・・学校運営、校長人事権など教委の権限が委譲される。

しかし、次第に変質。小学校から多様化。

産業構造の変化で、余った労働力はどこに行く。シカゴ市の貧困地域12〜15歳。

かつての製造業から、エリートを支える低所得サービスへと。8年生くらいの学力と従順な態度があればOK。ミリタリーアカデミー(公立軍隊学校)へと流れる。

◯中・高校の多様化が進んだ。

「普通の学校」は消えて、エリート向けの教育と職業訓練的な教育に分科が進んだ

 

.新しい共同   どうしてこの教育改革が成功したか?

サラ先生(シカゴ教員組合)の講演から

◯子どもたちの実態からスタート

 ニューオリンズは、洪水で流されて、すべてチャータースクールになった。

 (災害に乗じて〇〇が忍び寄る)

◯方針を共有し、選挙で勝ち、組合の主導権を握り、運営を改革した。

・黒人地域が多く、人種差別反対のベースもあり「学力による分離は差別」

CAT(コントラクトアクション・チーム)を各学校に

・様々な課題があるが、すべては統廃合に結びついているので、ひとつの動きになる。

・子どもたちも運動に参加している地域もある

 

4.学テ拒否

◯ディエット高校統廃合を止めた(2015−16)

 市民運動側のプラン「グリーンテクノロジー」高校 VS 市側のプラン

 ハンガーストライキも行った

 

◯学テを拒否する動きが起こった

 アメリカは、親が拒否すれば、テストを受けなくても良い。

(例)

・ブライト小学校

モンテッソーリ教育を取り入れている。独自教材。共同教育(障害のある子どもが一定数いる)を行っている。アッパーミドルの家庭が中心。

・サウシド小学校 サラ先生の勤務校

ヒスパニックの貧困地域にある ヒスパニック文化・言語を重視した小学校を併設

テスト怪獣に餌をやらない テスト拒否に親たちが自発的にサイン、テスト拒否のパンフは親が作成してくれた

 

.さらに対抗軸を考える

① 貧困層、マイノリテイ、② 教師、学校管理職、教員組合、③ハイ・パフォーマンス・コミュニテイ、 ④ テスト教科以外の関係者、多様な文化

◯教育的効果・デメリットが検証されていない中での小中一貫校・小中一貫教育
いくつかの調査を見ると

・国立教育政策研究所「中1ギャップの真実」(2014)では・・・

・朝日新聞調査「小中一貫課題あり」86
・和光大学 子どもを対象にした大規模意調査

 一貫校と普通の小・中学校を比較した大規模アンケート調査(途中経過ではあるが)

 子どもの「自信」についてみると、小学校、一貫校は低く出る。同じ空間に年齢の高い子がいることが関係しているのではないか

◯幼・保、学童、小・中・高学校、さらには社会教育施設を守る共同へ

・小学校区自治組織と教職員組合の共同

 東久留米滝山小の統廃合(2003年)のケース調査  統廃合は子どもにとってリ スクがあるー地域が子どもを守る

◯原風景としての小学校

・子どもの安定した感情に成長・発達に「原風景」がもつ意味

 

 

午後の部

※レジュメ(データあり) ※資料参照:冬のセミナーの資料 ⇒ダウンロード

 

テーマ 「中教審」が現場に求める「教育」の何が問題か

報告者 今泉 博さん(世話人、元北海道教育大学教員、元小学校教員)

 

 全進研の世話人のひとりで今泉と言います。「中教審がなにを現場に求めているか」を話させていただきます。時間がわずか30分ほどに限られていますので、アクティブ・ラーニングを中心にしたい。明日(8月1日)中教審の教育課程企画特別部会の報告(これまでの審議のまとめ)があるが、私も傍聴の予定である。次期学習指導要領と関わるような「能力・資質」などの研究が国立教育政策研究所でも行われている。その報告書は膨大なものである。それらを読んでみたが、「これで教育はよくなっていく」という希望や展望が湧いてくるようなものではない。現場の困難、子どもや教職員のかかえる苦悩や課題から出発していない。平和や人権、民主主義などといった文言は、ほとんど見受けられない。

 アクティブ・ラーニングニングという言葉や考え方が最近出てきたわけではない。アメリカで1970年代ごろから研究・実践がされてきたものである。第二次大戦後、大量の学生を受け入れるようになり、講義形式の授業では、大学の講義がうまくいかなくなってしまったことがその背景にある。小・中学校の授業のように、子どもたちが生き生き参加するような授業を「大学でも行えないか」と考えるようになり、アクティブ・ラーニングが実践されるようになった。アクティブ・ラーニングは能動的・協働的学びととらえていいだろう。日本でも同じ状況があり、1970年~80年代頃から、一方的な講義ではなく学生が主体的に学ぶ方法として、取り組まれ始めた。2000年以降広がり始め、中教審の答申に登場した2008年頃から一気に広がった。「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて一生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へー(答申)」からである。

 生徒が能動的・協働的に学べるようにする努力は、「アクティブ・ラーニング」という言葉が広がる前から、小・中学校の現場では続けられてきた。授業は「表面的な活発さ」だけで判断できるものではない。大切なのは、「授業で取り扱いたいこと」をどう子どもに伝えていくかということ。教師はその工夫をする。手法ではない。アクティブ・ラーニングとは対極にあるような講義形式の林竹二の授業を映像で観たことがある。机にうつ伏せになり、いかにも意欲のなさそうな生徒が次第に身体を起こし、真剣に聴き入るようになっていくのである。それを観て、大切なのは、「子どもの内面」が積極的・能動的になることだと実感した。

 授業の方法は、授業の目的や教材、子どもの実態などにさまざま考えられるということである。国が「指導法」まで口を出し、押しつけることは「教師の専門性」に対する重大な侵害である可能性が大である。アクティブ・ラーニングも、さまざまな指導法のうちのひとつに過ぎない。教師が子どもたちと共に、豊かな学びを創るためにも、授業のねらいにそって、自由に教材を選択したり、さまざまな指導方法で授業ができるようになったりすることを保障すべきである。

 中教審の教育課程企画特別部会の「議論」(文書)などを読んでいると、「次期学習指導要領」のもとでの教育・授業が心配になってくる。 

 

シンポジウム

司会 中村岳夫(公立中学校 / 社会)共同代表

まず、午前の山本さんの講演、先ほどの今泉さんの報告を受けて、中学の佐藤さん、高校のAさんからの発言をお願いした。

 

Aさん(高校)

 1990年代前半、私が勤務し始めたころ、生徒は、自主編成の授業は面白ければやる・面白くなければやらないという感じだった。2003年度頃から、「何か違うなあ」という違和感を感じるようになった。うちの生徒だけではないのでは?と外の研究会に行くようになった。1998年度に入学生が減り、勤務校は「進学率も考えなくてはいけないのではないか」と考えるようになった。私立は、全体として、「単願」(私立第1志望)が少なくなっている。都内私立高校は全体の54.5%、半分以上は私学。女子校、男子校、宗教の特色のある学校、様々な特色があるが、特進を設置する学校も結構ある。

 都立高校では2014年度に「都立高校学力スタンダード」というのが打ち出され、目標値を出さなくてはならなくなっている。平成27年度は「生徒指導統一基準」も打ち出されている。小学校から高校まで「◯◯重点校」などが指定されている。私立のランキングを見ると、トップ数校の大学付属高校は特進がない、スーパー特進などいろいろなコース(面白いネーミングのもある)があり、ひとつの学校でありながら、様々なコースがある。

 都立高校に特別進学アドバイザーとして、大手の塾が入り込んできている。私立にもアドバイザーとして入り込んできている。「全国の校80%の学校に入っている」と言われている業者もある。研修も行っている。受験産業が生徒の様々分析をしてくれる。生徒の顔を見ないでデータだけで分析し、アドバイスしてくれる。

 

佐藤康尚さん(公立中学校 / 数学)

 中学でも受験産業との絡みが多くなってきている。都立高校が特色化されて、受験産業が情報を現場におろしてくる。高校は塾にも説明会の案内を出すところがたくさんある。塾がアレンジする説明会もある。夏休みは、塾通いが長時間化している。通っていても、詰め込み方式で伸び悩んでいると思う。どうメスを入れるか?どうすればいいのか。保護者も「問題だと思っている」と思うが、話し合う機会が作れていない。

練馬では、学校統廃合、小中一貫校設置など新自由主義に絡む改革はうまくは進んでいない。一番の問題点は、教師の当事者性が奪われていることにあると思う。組合としては、教師の意見、保護者・地域の意見を聞くべきことを主張し、組織すればもっと状況を変えられたかと思う。

2学期制、夏休み短縮など破綻してきている。土曜日授業も破綻してきている。授業時数を増やすだけでは意味がなく、破たんするのは当然のことだと思う。

いま現場は、“親子職場”(定年間際の年齢の教員と息子・娘の世代の教員がチーム)になっている。感覚のギャップを感じることもしばしばだが、若い世代にこの間の学校の変遷(歴史)を伝えていく必要を感じている。

 

司会:行政は学級定数を減らすとか正規の教員を増やすということはしない。先日、勤務校の学力向上アシスタントとして数学を担当している先生が、プール指導の監督要員としても駆り出され、奥さんから「最近なんで日焼けして帰ってくるの?」と不思議がられているという笑えない話を聞いた。お金の掛け方や力の入れどころが違うのです。さて、教育現場の話を聞いて、山本さん、今泉さん、コメントありますか?

 

山本:Aさんに質問。もし、都立高校の先生がいらっしゃれば、その方にお答えいただくといいかもしれない。新しい「学力スタンダード」とは何か? 中堅以下での数値目標は?受験重点校ではどうなのか?

 

都立高校教員:工業高校。うちでは「学力スタンダード」の議論はない。「やらなきゃいけないねー」くらい。チームはあるが、方針が降りてきて、こなすという状況。

 

今泉:教師が上からおろす練習・習熟は変えていかなくてはならず、そのための手法としてアクティブラーングは有効だろう。練習・習熟では基礎基本は身につかない。「基礎基本ほど深く」だと思う。基礎基本と活用を分けることは無意味だろう。

 「教師と地域の声を聞くこと」が大事だと思う。今回、産業界などの声を聞くと言っているのは危険だと考えている。

 

司会:配布した中教審答申の資料を見ていただきたい。「日本の教員の自己満足度」が低い、という国際調査を引用して、結論は満足度を引き上げるためにもっと研修を増やそう、という。そのために、管理職は今までは教員のマネージメントに重点を置いていたが、これからは「チーム学校」として学校の関係者すべてを校長の管理下に置く、という。一層の集権化が図られようとしている。

もう一枚、上廣倫理財団の資料がある。この財団は、文科省も関わるような各種の道徳研究会に協賛団体として名を連ねているが、実践倫理宏正会(別称:朝起会)という宗教団体の名誉会長が代表を兼ねている。すでに、現場の先生に勧められている研究会や講演はこのような類のものが浸透してきているのが現状だ。ゼロトレランスも、そうした下支えとなっている。

 

山本:佐藤さんへの質問。教育改革が次々と降ろされ、教員は蚊帳の外と言っておられたが、保護者と協同で議論とか運動とかはないのか。問題のある改革は教師が勉強する機会でもあると思うが、どうなのか。

Aさんへの質問。担当している教科でつけさせたい学力とは何か。

佐藤:教員が「これは問題」と思うことが、必ずしも保護者の問題意識と一致するとは限らない。地域の学校の統廃合は保護者と一致して運動ができたが、当該の教員の関わりが作りにくかった。教員も異動する中で、「その地域の学校や子どものために」という意識が薄くなっているように思う。

 

山本:2003、4年の東久留米での統廃合問題では、教員と保護者が共同すると力を発揮できると思った。足立の学テなども。

 

今泉:Aさんから、生徒は面白ければ授業に参加するという発言があったが、「学ぶことが面白い」と子どもが感じられる実践をどう創りあげていくかである。中教審の教育課程の論議からすると、現場はますます厳しい状況になると思われるが、意識さえすれば、まだまだ実践を創造していく「余地」はある。小さなことがきっかけで、授業が変わっていくことが少なくない。

 

A:生徒たちはどんなことを求め、考えているのか。うちの生徒もいろいろだが、本当は「勉強したい」と思っていると思う。生徒が本当にしたい勉強とはなんだろうか?それを生徒と一緒に考えながら授業を創っていきたいと思う。わたしは、自主編成で授業を創るのは、未だに苦労している。ほぼ100%が進学希望の中で、受験に関係する教科は教科書主体で、範囲を終わらせなくてはならない。生徒は話したがっているのを実感するが、たくさんの生徒がいて十分な対応ができていない。

授業中、生徒どうしの関係などで何か問題が起こっていると、具体的に何が起こっているかわからなくても「なんとなく」何かがあるなと教師は感じることもある。受験産業の影響か、若い先生と数値で生徒のことを語る中で「なんとなくクラスがギクシャクしている感じがする」といったら「なんとなく、という表現はやめてほしい。」「具体的な出来事を言ってもらわないと指導ができない。」と言われた。目に見える結果を急ぎ、生徒の成長を長いスパンで見られなくなっているのではないか。「本当は生徒はどう過ごしたいと思っているのか」を考える必要があるのではないか。

 

司会:山本さんに質問。「統廃合の動きも実は十分な証明もないままに進められる」とあったが、現場にいると「教育的な裏打ちや意味のないこと」がすごい勢いで降ろされてくるのでその対応で疲弊しきっている。

 

山本:「裏打ちがない」と言われるが、「学校はどこも同じレベルで」など、それらしきことは言ってくる。何のためにということがわからないと、反対運動にしづらいと思う。グローバル教育の中で「道徳教育の位置付けは?」などと考えるとつながりが見えてくる。日本の教職員管理とは違うが、学んで全体を把握するというのは意味があることだと思う。

 

司会:最後にひと言ずつ、お願いしたい。

 

佐藤:「地域」という感覚が持ちにくい。一方で、若い先生が増えていて、「民主的な感覚を持って、実践を創ろう」とする姿勢が見えたりする。自己申告制度があり、管理職と年3回も面談があり、管理職が悪いと「悪い影響」を受ける。「平場」でつながって学び合うことが必要だと思う。長年の経験の中で、上から降りてくるものは「生徒のためにならないことが多い」と思っている。そのこともきちんと伝えたい。選挙のたびに「教職員の政治活動の禁止について」という文書が降りてくる。問題と思うし、人権感覚のない文書。会議で発言したら、校長の動きが自粛された。このような「小さいこと」も含めてやれることは多い。頑張っていきたい。

 

A:戦後、組合や民主的な学校をつくろうとしてきた先生たちは、今、80歳代。団塊の世代も退職した。わたしたちは出来上がってから入ってきた世代。じわじわと侵食されていくような感覚がある。一方で、20代の先生が「いいな〜、期待できるな」と思うこともある。「教育」はそんなにすっきりしたものではなく、いつも迷っている。生徒にも考えながら、迷いながら歩いていってほしいと思っている。

 

今泉:次期学習指導要領は、これまでと比べても、おそらく最悪のものになるだろうと思う。どんなにひどい内容であっても、教育課程企画特別部会の「論点整理」などを読んでいると「役に立つ論点」も見えてくる。逆手にとれることもある。「プラスになること」をつかみ取って、これからの実践に生かしていきたい。

 

山本:教育制度の観点から見ると、人づくりなどの政策とリンクしているので批判的に見なくてはならない。教育内容は専門でないが、慎重にしなくてはならないが「利用してやる」ということも可能なのではないかと思う。制度の視点から見ると、「利用してやる」は絡めとられる危険性が高い。

 

司会:短い時間ではあるが、シンポジストからの発言も受けて、この後グループごとに交流をしたい。

 

グループでの交流後、各グループから報告

※3グループとも、運営のお手伝いをしてくださった学生さんが報告

B:各学校の「アクティブ・ラーニング」の取り組みの交流を行った。これから教育実習に行くが、実習先の実態もよく見てこようと思う。

 

C:わたしの「ゆとり教育」という発言から、交流した。わたしたちの世代は「ゆとり」とか言われて、バカにされることもあるのだが、現場の先生たちもよくわかってないところがあるということだった。

「組合」について質問を受けた。今は遠いもので、具体的に考えられない。グループ内は、30年、40年の隔たりがあり、世代によっての考えの違いも分かった。

 

D:社会学部の学生。「日本の教育改革はこれでよかったのか」というテーマで、様々な立場から感想を出し合った。検定とか、一定基準で「生徒の能力を測るもの」が精神的な不調につながっているケースもある。諸制度が生徒に悪影響を及ぼしているのではないか。ひとつの政策が様々なバックグラウンドをもっているすべての生徒に、当てはまるものなのかという意見が出された。

 

閉会の挨拶(世話人:草刈)

1963年、「人づくり政策」が打ち出された時に、全進研を発足。自分自身は1961年に教員になった。未だに、「エリートは、ノンエリートはという政策」が続いているのだと憤っている。何人かの方から、若い人たちに希望のひかりが見出せるという発言があり、大事にしていきたい。今後とも、全進研の活動を共に作っていきたいと思う。

よろしくお願いしたい。

 

セミナーの運営をお手伝いしてくださった大学生の感想(2名分)

 ゆとり教育に関する議論もおこなわれたのだが、それに限らず「教育」の課程における「数字を重視」する傾向は如何なものなのか、やや否定的な視点からの意見交換が行われた。数字としての結果を求める教育だけでは育むことは難しい「資質」をいかにして身に着けさせるか、それが教育であり、現在の教育が抱える問題でもある。 個人的な感想となってしまうのだが、民間企業で働く参加者の一人から「運動とか組合ってどういうイメージがある?」と訊かれたとき、ハッとした自分がいた。人文科学の学部に所属し、様々な分野の過去・現在の問題に日ごろ接触するようにしていても、運動や組合の力が強かった時代を生きた人からこういったことを訊かれることは初めてだった。「(大学の授業で学習するまで)運動は『学生運動』のような血気盛んなものだけだと思っていた」というのが自然に出た言葉だった。さらに組合というのも「いまいちピンとこない」ものであった。 お互いの言葉に対する反応を見ていると、過去の世代間でこれほど大きな「ジェネレーション・ギャップ」を感じた世代はあるのだろうかと思うほど、世代的な考えに差があった。 次から次へ、教育に関する様々な話・意見を聴いてゆく中で、とりわけまさに現在は、教育において世代的な大きな転換期に差し掛かっていると、強く感じた。 児童・生徒の内面的な質をいかにして形成してゆくか、また学校教育としての大前提の授業を、どのようにすれば児童・生徒に「興味深い」と思ってもらえるのか、従来の教育では対処しきれない問題が新たに浮上していると感じた。  (H.S)

 

 

 私たちのグループでは、参加してくださっていた先生方の学校でどのような問題があるのか、ということについて話し合いました。 特に、アクティブラーニングに対しての意見が多く、アクティブラーニングだけで授業を行うクラスがある学校での、コマ数、親、生徒、先生が受験対策で不安を感じているという事だったり、人工的にリーダーを作り出すためなのではないか、などの意見もあり、アクティブラーニングには他の先進国がやっているからでは済まない、私が考えつかなかったデメリットもあり、今まで一面だけで物事を見ていたのだと実感しました。 また、授業の教え方の型があり、もっと内容に沿った展開をするように学校で指導するべきではないか、塾との連携や周りの学校との学力比較など様々な問題がでました。 これらの問題は一つ一つが単純な問題ですが、学校全体で解決に導くには大変なものです。私は職員同士で積極的に意見が出るような会議をする時間をとって対策をしていってほしいと思います。 私は今、大学一年生で教育実習もした事がなく、グループでは唯一教師経験がない参加者でした。ですから、全ての話が新鮮で、私が何気なく生活していたその裏で、先生がどのようなことを問題に思っていたのか聞く事ができて、今回のシンポジウムに参加してよかったと本当に思います。また、私は今の生徒が先生に求めているのは信頼感だと思っています。信頼できる先生にいろいろ相談したいと友人や私自身もそう感じていたからです。その信頼感は先生のホームルームでの話だけではなく、授業の作り方や生徒への態度で得られるものです。私はあと三年間、教師へなるための勉強だけでなく、生徒にとって何がいい事なのかをしっかり考えてみようと思います。(H.T.)