「冬のセミナー2017」まとめ

テーマ:インクルーシブ教育実施への道すじを探る -ともに生きる社会の創造をめざして

「冬のセミナー2017」は、2月5日、武蔵野プレイス(中央線武蔵境駅西口)に於いて開催されました。相模原・津久井やまゆり園の事件をどう引き取り、どう活かしていくのかということを考え合う機会にしたいということが思いとしてありましたが、各方面から約50名の参加があり、「障害を持つ息子へ~息子よ、そのままで、いい。」の著者である神戸金史さん(RKB毎日放送東京報道部長)のお話と全進研世話人である遠藤裕子さんの報告(インクルーシブ教育実施への道すじを探る)を受けて、さまざまなやり取りがなされました。

 

このまとめは、

【1】神戸金史さんのお話を伺って(文責:荻野) 

【2】インクルーシブ教育実施への道すじを探る(まとめ:遠藤) 

最後に参加者の方々の感想を掲載させていただいています。

【1】神戸金史さんのお話を伺って

文責:荻野(全進研世話人)

2016729日午前259分にフェイスブックに投稿された詩

障害を持つ息子へ

 

私は、思うのです。

長男が、もし障害を持っていなければ。

あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。

 

私は、考えてしまうのです。

長男が、もし障害を持っていなければ。

私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。

 

何度も夢を見ました。

「お父さん、朝だよ、起きてよ」

長男が私を揺り起こしに来るのです。

「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」

夢の中で、私は妻に話しかけます。

 

そして目が覚めると、いつもの通りの朝なのです。

言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。

何といっているのか、私には分かりません。

 

ああ。

またこんな夢を見てしまった。

ああ。

ごめんね。

 

幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。

いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。

想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。

そんな朝を何度も過ごして、突然気が付いたのです。

 

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、

人をいじめる人にはならないだろう。

生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。

お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。

お前は優しい、いい男に育つだろう。

 

それから、わたしははたとき付いたのです。

 

あなたが生まれたことで、

私たち夫婦は悩み考え、

それまでとは違う人生を生きてきた。

親である私たちでさえ、

あなたが生まれなかったら、いまのわたしたちではないのだね。

 

ああ、息子よ。

誰もが、健常で生きることはできない。

誰かが、障害を持って生きていかなければならない。

 

なぜ、今まで気付かなかったのだろう。

 

私の周りにだって、生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。

生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。

 

交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、

雷に遭って、寝たきりになった中学生が、

おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、

嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、

実は私の周りには、いたはずだ。

 

私は、運よく生きてきただけだった。

それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。

 

息子よ。

君は、弟の代わりに、

同級生の代わりに、

私の代わりに、

障害を持って生まれてきた。

 

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。

事故で、唐突に人生を終わる人もいる。

人生の最後は誰も動けなくなる。

誰もが、次第に障害を負いながら生きていくのだね。

 

息子よ。

あなたが指示していたのは、私自身のことだった。

 

息子よ。

そのままで、いい。

それで、うちの子。

それが、うちの子。

 

あなたが生まれてきてくれてよかった。

私はそう思っている。

                            父より

 

この詩を、フェイスブックに投稿するに至るいきさつ、その後の様々な反応などを、記者としてのスタート時代のことから神戸さんは語ってくださいました。

雲仙普賢岳の噴火時代の事、RKBとの交換で2年間過ごしたこと。ある時、上司から手直しされた原稿を素直に受け取ったら、その上司が、「記者は闘わなくてはいけない。上司とけんかするのが記者の仕事だ。上司の仕事は、その記事が基で会社とけんかになったら、徹底的に記者を守ることなんだ。」と言った。その姿勢でこの25年間やってきたと。

仕事に没頭する自分と、息子さんの成長に真剣に向き合って、マカトン(ポーズで言っていることを示す方法)やカードなど様々な工夫に取り組む奥様のことなど、順を追いながら話してくださいました。ちょうど、この頃の映像を見ることができます。http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news2878398.html

たまたま、出版社の人が見て、詩を56編書いてくれと言ってきた。詩は書けなかったけれど、10年前の原稿を生かしながらこの本ができた。「うちの子」というドキュメンタリー番組が、平成28826日に放送できた。50分ものです。この本は事件が無かったら、出さなくてよかった。

憎悪の声は拡散して、感染力を持って広がっていく、そういう時代に私たちは生きている。今の憲法は70年間、社会の基軸として、平和主義・人権・平等を一つの大きな価値観として受け入れられてきた。と同時に、豊かに生きていきたいということから、経済発展を望み、総中流社会とまで言われる社会になった。平和8月ジャーナリズムと揶揄されながらも形式としては平和も平等も伝えられ続けていた。でも、伝えることで満足していなかったか?届いていたのだろうか?理解されていたのだろうか?もう、被爆を実際に体験した語り部はいない。いないなら、どうやって語り続けばいいの?これからどういう社会になるのか?価値観守ろうだけじゃダメ。憲法変えるなでは抵抗できない。メディアも教育も相手の心に届くことに重きを置く必要がある。

 

 

【2】インクルーシブ教育実施の可能性を探る        

―ともに生きる社会をめざして

まとめ:遠藤(報告者)

※報告を補足する形でまとめさせていただきました。

1.はじめに

都内にある私立高校で、2000年から専任のスクールカウンセラー(学校心理士)として働いている。全進研の世話人、全進研には音楽の教員であった20代の頃から参加している。全進研の学習会でお話をさせていただくは久しぶり。

今回のセミナーの内容は「やまゆり園のことを取り上げて学習会をしたい」という会員の方からの要請があったことがきっかけで設定された。私自身、「教育の仕事」に携わる者のひとりとして、今一度、正面から向き合わなければ…と考えていたこともあり、お話をさせていただきたいと思った。自分の問題意識や課題に引き寄せ「インクルーシブ」をキーワードにお話を進めていきたい。2014年度に取り組んだ、日本私学教育研究所の委託研究のまとめ(特別支援教育の視点を生かした学校づくり)を基に報告をさせていただく。

2.「やまゆり園事件」がわたしたちにつきつけた課題を

「教育の仕事」に携わる者としてどう引き取るか

 あの事件から約6カ月、各方面で、実に様々なやり取りがなされてきた。「人は生まれながらにして、存在そのものに価値をもっている」は自明のことではなかったのか。

「病気になること、障害をもつこと、老いることは全ての人の上に平等」と言われるが、これは本当に共通の認識なのか。「疑ってもみなかったこと」が根底から覆されるような衝撃を受けた。

 「教育の仕事」に引きつけて考えてみると、いじめ問題に共通するところがあるように思う。いじめは、懲罰でもなく、教条主義的な道徳教育でもなく、「一人ひとりを大切にする教育」を構築し、全ての子どもたちが「大切にされていると実感できること」でしか防げないと考えている。教育現場でするべきは、「人は生まれながらにして、存在そのもの価値をもっている」ということが自明のこととなるよう、高い人権感覚をもった人として育ちあうための教育実践を創っていくということだろう。

3.インクルーシブをキーワードとして

 2014年度に日本私学教育研究所の委託研究を受けて「特別支援教育の視点を生かした学校づくり―私立高校の可能性」というテーマで研究を行った。その報告を基に話を進める。2007年に本格実施となった特別支援教育は、当初、軽度発達障害を含む「何らかの障害をもつ生徒(個)」への対応が求められた。その後、2013年に制定された「障害者差別解消法」を受けて、障害のあるなしにかかわらず「すべての生徒一人ひとりの教育ニーズに応えること」を追求する中で包括的に実施するというように転換した。現在、すべての人の人権が尊重される共生社会の形成に向けて、インクルーシブ教育のシステムを構築することにあるというところに落ち着いている。インクルーシブ教育を進めるにあたっては、さらに「基礎的環境整備」と「合理的配慮」の2つのキーワードがある。すなわち、どの子にとっても生活・学習しやすいように環境を整えた上で、合理的配慮を検討するというものである。

私の中でのインクルーシブ教育のイメージは、映画「みんなの学校」の大空小学校である。みんなが名前で呼ばれていて、いろいろな子がいて、一人ひとりが大切に関わってもらっているのが目に見える。委託研究の一環で視察させていただいた高校では、研究指定を受けることにより付いた予算で少人数授業や(2クラスを3つに分ける)、生徒指導の人員加配により問題行動を対話によってきめ細かに指導するなどの基礎的環境整備が行われていた。勤務校では、福祉コースは30人学級、福祉の授業はティーム・ティーチング、グループワーク・ペアワークや実習が取り入れられていて、さまざまな人(幼児、高齢者、障害のある人)と接する機会をつくっていることがインクルーシブ教育に関連して特筆できると考える。しかしながら、これらは「いち私学」として、経営上の努力の上になされていることであり、日本全体を見れば、学校規模やクラス定数、必要な人員配置、教員の多忙化など解決すべき課題がたくさんある。

4.おわりに(雑感)

 次は「障害者と共生する」という10月にAERAで連載された記事の中にあった文章である。・・・あの事件直後から、メディアには「事件は社会の映し鏡」「内なる優生思想は私たちの中にもある」といった内省の声が上がった。障害のない人たちにとっても生きづらいギスギスした世の中で「自分自身もいつ転落するか…」という恐れが反映されているのではという声もある。多様性を包み込む「インクルーシブ」という言葉は躍っていても、「厳しい現実」が横たわっている。

 

世の中を見渡すと、理不尽なことが多いなあと思う。根っこは同じように見える。それでも頑張っていると、(分野は違っても)周囲に頑張っている人がいることに気づく、頑張っている人に出会う。非力を自覚することも多いが「自分にできることをできるだけする」というところに落ち着く。東ちづるさんが「まぜこぜな社会」と言い、このセミナーでコーディネーターを務めてくださった綿貫さん(全進研共同代表)は「ともに暮らす、暮らせる社会」と言った。どちらもしっくりくる言葉だなあと思う。報告はあまりうまくいかなかった(これはいつものこと)が、報告の後、さまざまな立場の方々の発言を聴き、(よいセミナーだった)と思えた。ありがとうございました。

【3】参加された方々からの感想

Aさん:今日はありがとうございました。市内の公立小学校(通常級しかない学校です)に子供(ダウン症があります)を通わせる保護者です。

地域の学校に通わせてあげたいと希望をしましたが、学校から条件として出た付き添いを毎日しながら学校に親もいます。日々、学校の中で思うこと多くあります。

みんなの学校でも言っていたと思いますが、学校が変われば地域も変わる。どのような子も一緒に過ごすということを、日々することでしょうか。そして大人がそれを受け入れてあげることだと思っています。そんなふうになりますように。

Bさん:学校の教員としては、まず当事者の思いをできれば実感する機会を持つことが

必要と感じました。点数が高くとれるということでなく、知性を身につけていけるようにすることも意識したいと思います。

Cさん:ありがとう!はじめてこのテーマでみんなで学べた。

Dさん:asacocoを見て参加しました。西東京学童クラブ連絡協議会事務局で活動しつつ、昨年西東京市で「みんなの学校」上映会をお手伝いしました。

 私自身が1977年(s52)生まれで約30年前に大阪府豊中市の公立小学校で障がい児と同じ教室で学んでいました。「当事者の声」のうち、今の段階で無視されているのは健常とされている人の声だと思います。「インクルーシブ」を語る人が「とび出ていない子」をどう考えているのか、どう教育するかを今探しています。着地点がなかなか見つからない中で、多くの実践例をうかがうことができ大変勉強になりました。今後の学びに生かしていきます。

Eさん:私はこれから特別支援教育について学習したいと思い、今回参加しました。この分野を学ぶ上で、やまゆり園の事件について自分の意見をまとめたいと思い、神戸さんの本に興味を持ちました。本を読んで参加したのですが、本人の口から話を聞くと、11つのエピソードが重みを増しました。今回は本当に貴重なお話ありがとうございました。

Fさん:ありがとうございました。たいへん勉強になりました。学校現場は子どもを育てる場ではなくなりました。それでも頑張っている教員もいるのですが…。トップダウンで決まっていってしまう。ものごとが進んでいく中で、若い先生方は当事者(教育者として)意識がキハクになっています。育てられないシステムや異動問題、教育の場で民主主義がないのです……等々。共に育つことが難しくなっています。

Gさん:大人たちの眼が、どのようになるかによってインクルーシブな社会は作られるのだろうと思います。様々な視点の方の意見が伺えて良かったです。ありがとうございました。

Hさん:私のことを話してみて、私に何が足りないのかが分かった気がした。反知性主義がはびこる今、正しいことを伝え続けることは自分が世界に変えられないために必要である。

Iさん:「役に立つかたたないか」を越える考え方をしたいと思います。生まれてきた人は誰でも何か大自然の中での役割のようなものを持って生まれてきたのだと。宗教者は、そういう意味のことを言っているのではないでしょうか。そこから出発したいと考えました。  

Jさん:奥様が書かれた手記のラストの言葉に心から共感しています。「社会の役に立つ人間なのかと自問自答することはなくなりました。私自身、同じことを問われれば答えに詰まることに気付いたからです。何を思い上がっていたのだろうと。」

 また、「不適切な行動や言動に辟易することもありますし、何百回も同じことを言われ続け、耳にタコができそうなときもありますが、母である私も悲壮感なく暮らしています。」という言葉にも打たれました。介護度4の認知症の母と暮らしていると、頭でわかっていてもピキンと切れそうになることがあるんです私。

神戸さんが語られるご自身の記者生活や息子さんの話の中にも、たびたび奥様に対する尊敬と愛情があふれて出ていました。映像のなかの奥様、素敵な笑顔の方でした。

 

 他の人の役に立ちたいという思いがあるのは否定しないけれど、それを尺度に持たない生き方をしてゆきたいと思います。