全進研「夏のセミナー」2018 まとめ

                              文責:遠藤

 

開会:中村(世話人)

 暑い中ですが、今日1日、午前・午後、よろしくお願いします。ここにご参加の方は認識しておられると思うが、「8050」(はちまる・ごーまる)は認識されていない実態がある。しかし、現実には、だいぶ前から「実態」としてあるが、手がつけられていない。就職氷河期から、就職をめぐる問題は尽きず、最近も「ソサイエティ5・0」とか、政策を打ち出しているが、厳しい状況が続いている。「8050」は、今までの問いではなく、最近の「生産性を問われる」とかにも関連していて、これからも、われわれ一人ひとりが問われている課題でもある。

 

会場校挨拶:小澤(東洋大)

 いつも、ありがとうございます。会場として使っていただくのも5回目になりました。私自身は、25年前から「団地の調査」に入ったりしている。NHKが「老後親子破産」の問題を取り上げたが、調査に入った団地である、「子どもが帰ってきて、もっと大変になる」という実態があると言う。今日の「8050問題」、自分自身の課題として、一緒に学びたいと思う。

 

講師紹介:綿貫(世話人)

 暑い中、ご苦労さまです。今回のテーマと講師紹介をさせていただく。「みかづき」という小説がある。学校の用務員室で教えるところから始まる小説。長く、学校の外での子どもたちと関わって来られた佐藤洋作さんは塾業界のトップになるようなことはなかったのだが…「佐藤さんの話」をきちんと聴く機会をつくらなくてはと世話人で話していた矢先に、朝日新聞の記者の清川さんが記事を書かれた。自分自身は佐藤さんのNPOで若者に関わっているが、彼らと全部が重なる。今の日本は「自己責任」としているが、個人の問題ではなく、社会全体の問題。関わっている若者の実態をみると、「引きこもり問題」は「不登校」とつながっていて、学校と無関係ではない。

 洋作さんが三鷹の地域での塾を開いた頃、私自身は小金井の中学の教員で、「塾のいらない学校づくり」を展開していたが、「学校を敵視しない塾」、洋作さんがいるから、学校を相対化しながら学校の中でやってくることができた。今、「宮本科研」で世界を飛び回りながら、方ぼうで発言をされているが、今日は90分丸々しゃべってもらいたい。私たちは、話を聴いて、「みんなの問題」として考え、「学校教育がどうひきとるか」についても考えてみたいと思う。

 

講演:

「地域から見た子ども・若者たちの30年〜いま「8050問題」と 

 は何か。

                           佐藤 洋作

                        NPO法人文化学習協同ネットワーク)

はじめに

 全進研で話をさせていただくのは久しぶりです。

全進研とは30年の付き合いになる。「進路指導研究」1021989年夏季)-「地域に子どもと大人が交流し学び合う場を」が最初の寄稿。最後が「ドイツの若者就労支援の現場を歩いて」(2007年冬季)。全進研には、物心両面で支えていただいたと思っているし、「ひとつの足場」と考えている。

 「地域での活動」からみた30年、若者と学校の課題。いただいた課題がものすごく大きい。30年にわたる活動を整理しながら考えてみた、「今日の課題」を最初から意識していたわけではない。言わば、後付のようなことになる。

今日の課題(話の流れ)は、おおよそ、次のようになる。

Ⅰ)競争の教育の外で

  …協同ネットの30年の取り組みを時代背景と重ねて駆け足で振り返る

Ⅱ)不登校の子どものための居場所づくり

  …協同ネットのフリースペース「コスモ」などの取り組み紹介

Ⅲ)転換期を生きる若者たち

  …バブル崩壊以後の不安定雇用の広がりについて

Ⅳ)子ども・若者の生きづらさ

  …受験体制の中で「教育から排除」されていく子ども・若者のいきづらさ 

   について

Ⅴ)不登校からひきこもりへ

  …ひきこもりの長期高齢化(8050問題)の背景とひきこもりからの自立に 

   ついて

Ⅵ)居場所から仕事の世界へ

  …コミュニティベーカリー・風のすみかなど協同ネットの若者支援実践

 

【1】競争の教育の外で

 …協同ネットの30年の取り組みを時代背景と重ねて駆け足で振り返る

1970年代の半ば、

◯高校進学率は90%を超え、塾通いは盛んになった。街にはコンビニができ、 

 インベーダーゲームがやってきた。

◯高度経済成長の終焉を迎えた頃から、学歴というスタートラインを準備して

 やりたいという親たちの願いが、子どもと若者を学力競争に駆り立てること  

 になった。

◯校内暴力が70年代終盤から社会問題として注目されるようになり、1982年 

 には全国の中学、高校のうち637校の卒業式に警官が出動して校内暴力の警 

 戒にあたった。

※この頃、私たちの活動も始まった。「どぶがわ学級のような塾を作ってほしい」「学力競争には乗せたくないが、落ちこぼれにはしたくない」という親の思い

 があった。

1980年前後

◯頻発した校内暴力は85年頃を境に沈静したが、代わってこれまでなかった 

 タイプのいじめの急増など、新たな問題が見られるようになっていった。

◯「学び」から逃走する子ども・若者

 「学校化」した子ども生活世界~テスト志向教育、詰め込み教育、管理教育、

  教育家庭

◯産業主義社会からポスト産業主義社会への移行

 ~単純労働者の需要が激減し学校教育の高度化

◯地域コミュニティ(共同性)を失い、明るい未来(産業社会)を失い、生き 

 残り競争のストレスの中で先行き不透明な日常性という原野に投げ出された 

 子どもの生活世界 ➪学ぶことへのニヒリズム(虚無主義)

※校内暴力が沈静化。初めて、不登校の子と関わった。おそるおそる関わるが、 

 実は「普通の子」だった。関わりながら、学ばせてもらった。

 

 

【2】不登校の子どものための居場所づくり

 …協同ネットのフリースペース「コスモ」などの取り組み紹介

◯地域塾が連絡会をつくり、地域からの子育て・教育運動をすすめた

◯機関誌「子ども空間」を5号出した。さまざな、研究者や実践家に寄稿して

 もらった。

80年代から90年代にかけて

◯「不登校は個人の問題ではなく社会的病理」(文科省)

◯学習意欲を喪失し始めた子どもたちを前に、“知る喜びと学ぶ意欲を”をスロ

 ーガンに実践をつくりだしていった。

“自分の言葉で語り合おう”と討議と表現活動を大切にし、

 さまざまな行事や活動をつくりだしてきた。

◯東京の高校生とともに、「社会に出会う学び」をつくりだした。

 高校生平和ゼミ エイズ 沖縄 ボランティア

◯学校選択の自由化

 中教審・「自分探しの旅」への対抗~本当の自分探し、「生きる力」とは

◯「子ども問題」から「若者問題」へ

 バブル崩壊後の不況をうけて企業は雇用戦略を転換していく。若者の学 

 校から仕事への移行を特徴づけていた「戦後日本型青年期」が解体され 

 ていった。NPOとして再出発した私たちは若者問題にも取り組むこと 

 になった。

世紀が変わろうとする頃になると、

◯若者のひきこもり状況が広がり、

「働かない若者」の存在が社会問題となった。

 2000年「社会的ひきこもり」(斉藤環)

◯仕事や働き方を考える「School to Work」というワークショップを開

 いたり、新しい生き方・つながり発見マガジン「カンパネルラ」を学生

 たちと発刊したりした。

200525日、NHKスペシャルに映し出された若者群像が衝撃を

 与えた。若者が漂流している。

20099月には世界同時不況が起こる。

◯働くことについてさまざまな悩みを抱えている15歳~39歳くらいま 

 での若者が就労に向かえるよう、多様な支援サービスでサポートする。

 全国175か所。(厚生労働省委託)

 委託事業は予算的には安心あるが、一方で「しばり」もある。思想的にも理 

 論的にもしっかりとした足場が必要

※疑問あり、葛藤あり、政策提言もしてきた
1974年、不登校生徒数はボトムで、以後増加する。この年、高校進学

 率は90%を超えた。

◯不登校の子どものための居場所「フリースぺース・コスモ」をつくる。

 「居場所」とは人との関係性をつくり直しながら自己形成していく場。

 “知る喜びと学ぶ意欲を”がスローガン、そして「自己を乗り越えていく」

◯競争の教育から共同の教育へ

 「受験」を受け身ではなく、立ち向かうもの

 

不登校の子どもたちのための居場所づくりを通して

◯1974年、不登校生徒はボトムでその後増えていく。競争の教育にしん 

 どくなったと同時に「感性も研ぎ澄ませていった」のでは。モノを言うよう

 になる、学校が「こうあるべき」という説明できなくなってきていて、それ

 に違和感を感じるようになる子どもが増えてきたのでは

◯不登校の中にはいじめられた子もいるが いじめを見るのもイヤだという子

 もいる。

◯「君は君のままでいい」を書いた。

 うちへ来る子は、「もう一度、働けるように鍛え直してほしい」と言う。

 「変わらなくてはならない」という思いに、追い込まれる。

 「追い込まれてしまった現実」をもう一度考えてみよう

 「頑張れ」という言葉を使わない。「よく、ここに来てくれたね」と声をかけ

 る。「生きやすい関係性と社会を一緒につくっていこう」

◯「こうしたいと思うこと」「こうしてみたい」と言えて、周囲に「いいね」っ 

 て言ってくれる人がいて、「実現に力を貸してくれる人」がいることが必要。

◯「身体性」を重視している。身体が自然と触れ合うにしたがって、心の世界

 が広がる体験をする。「不快」を乗り越え「快」を体験することが必要(ベト

 ナムへの海外スタディなど)。

◯「地域に、社会に寛容性がなくなってきているのではないか」と感じる。

 子ども・若者と一緒に社会をつくろうという発想がない

 「共生」を許さない社会がそこにある

◯学校は「内部体質」を何とかしないといけないのではないか。

 例えば、練馬の不登校の子どもの居場所パレットができた、適応指導教室に 

 通えない子どもたちのための活動拠点であるが、あることすら知らないとい 

 うことがある。

◯学校と一緒に何かをすることがとても難しい。最近は「個人データの壁」も

 ある。

◯居場所とは人との関係性をつくり直しながら自己形成していく場

 居場所…中身は多様でいいが、開かれていることが必要だと思う。

◯「学力」は、個人のものでなく共有財産。だから学費は無料が当たり前。

◯「ここ」を居場所にしながら、社会に「新たな居場所」をつくっていくよう

 になる。行政は「6カ月で」と言うが、それは厳しい。

 

90年代中頃から、子ども・若者の様子が変わってきた

◯「できない」が開示できない。「教えてくれ」と言えない。

◯競争的関係から、水平な関係する必要がある。

 

【3】転換期を生きる若者たち

 …バブル崩壊以後の不安定雇用の広がりについて

揺らぐ働き方  学校から仕事へ渡る標準コースが崩れた  セーフティネットの底抜け

1980年代までの「大人へのなり方」

◯家庭→学校→会社へと子ども・若者を受け渡す教育力や受け渡しシステム、 

 スムーズな職業的自立

◯こぼれ落ちそうになっても支えるセーフティネットがあった。

 支え合う仲間、教師、家庭、地域コミュニティ、中間団体、OJTetc

ロスト・ジェネレーション

 バブル崩壊後から約10年間の期間(超就職氷河期)に就職活動をした人たち 

 のこと。つまり、1970年~1982年頃に生まれた世代。1971年から1974

 までに生まれた団塊ジュニア(第二次ベビーブーム世代)と重なる。

 受験戦争 就職氷河期 ロールモデルなき時代 介護離職のリスク

 

 

【4】子ども・若者の生きづらさ

…受験体制の中で「教育から排除」されていく子ども・若者のいきづらさ 

◯若者を包む不安、怖れ

◯教育から排除されていくプロセス

 受験体制の昂進  競争主義的価値観の取り込み

◯自己肯定感情のやせ細り

 →「教育からの排除」~低学力(受験競争からの振り落とし)、いじめ被害、 

 不登校・登校拒否、高校中退、など

◯新たな競争主義~自分探しの迷路

 「仲間(関係)からの排除」は「教育からの排除」の結果であり、原因でも

 ある

◯「助けて」と言えない若者たちの生きづらさ

 コミュニケーションが不安  何をやりたいのか分からない

 働くことが不安(怖い)

 

【5】不登校からひきこもりへ

…ひきこもりの長期高齢化(8050問題)の背景とひきこもりからの自立 

 について

◯サポステの相談窓口にやってくる若者の半数は不登校経験者。

◯ニートとは

 教育、労働、職業訓練のいずれにも参加していない若年無業者の状態を指し 

 た造語。NEET=Not in ducation, Enployment or raining

 …「ニート」人数(2016年度)15歳~39歳で約77万人、

  34歳までで約57万人と推定。

◯ひきこもりとは

 6か月以上自宅にひきこもって社会参加しない状態が続き、ほかの精神障害 

 がその第一の原因とは考えにくい若者の状態像。

 … 狭義のひきこもり23.6万人、準ひきこもり46.0万人、広義のひきこもり 

 69.6万人(2010年内閣府「若者の意識に関する調査」)

◯なぜひきこもりは長期化するのか

 高校、大学などへの入学や卒業時、進路のつなぎ目でひきこもりは始まって 

 いる。

8050問題~ひきこもりの長期高年齢化

◯「8050問題」とは80代の親が、引きこもりが長期化している無職の50代

 の子どもと同居したまま社会から孤立し、生きがいを失う状況

◯背景:親が「子どもが引きこもるなんて恥ずかしい…」と世間に隠し続け、

 助けてと声に出せないこと。経済成長期には子が引きこもっていても養う余 

 裕があったが、この間の雇用状況の悪化で家計状況は余裕を失い、そのうち 

 に親が高齢になり、収入が途絶え、介護が必要になってしまうという最悪の 

 状況が訪れる。

◯防止:安心できる場に参加し、同じような状況の仲間や、自分の役割などを

 認めてくれるような相手に出会い、自分が生きていることは恥ずかし

 いことではないのだと思った瞬間、自らの意思で動き出せる。また「生きて 

 るだけでいいんだ」という世間の空気が広がらなければ地域に潜在化してい 

 る当事者家族は、安心して社会につながっていけない。

◯NHKスペシャル「消える労働者たち missing workers

 自己責任論への対抗

◯ひきこもりからの自立プロセス

「自立」とは

 一人では凌げそうもないとき〈助けて〉と声をあげてみることができる力。

 さらに、助けを求めることができる適切な人や仕組みを探して頼ることがで 

 きる能力。

 

ひきこもりの若者に接する中で

◯90年代は新たな競争主義

 自分探しの迷路に迷い込む。

「仕事は自分らしい仕事を決めなくてはならない」「興味がないことを仕事にし

 てはいけないと思っていた」  「やめてはいけないと思っていた」

◯「人と一緒に生きていくのは、こんなに楽しい」という「広義の進路観」が 

 あれば「社会を信じて、社会に飛び込んで、ちからがついていく」

 仕事はなんでもいい。

◯青年期は仲間がいないときつい。

 仲間からの「いいやつだ」という承認。相互に承認しあうことが不可欠。

 

 

【6】居場所から仕事の世界へ

 …コミュニティベーカリー・風のすみかなど協同ネットの若者支援実践

居場所から生まれる対話と学び  出会いの喜びを語りに  若者と共に働く場をつくる

◯若者統合型社会的企業

 Work Integration Social EnterpriseWISE

 1)居場所の提供、2) 教育訓練の実施、3) 柔軟な就労機会の提供、

  4) 一般 就労への移行支援

◯ネットワークで仕事をつくる(社会連帯経済)

  社会連帯を基盤として実施されるさまざまな経済活動~社会的疎外に苦しむ

 人たちを社会の中に取り込んでゆこうという趣旨

◯多様な働き方(ユニバーサル就労)

 さまざまな理由ではたらきたいのにはたらきづらいすべての人がはたらける 

 ような仕組みをつくると同時に、誰にとってもはたらきやすく、はたらきが

 いのある職場環境を目指していく取り組み

 →「良い働き方」づくりへの挑戦…良い働き方(「スローワーク」)

◯自分たちがやりたい、やれる仕事(内発的動機)

◯話し合いと学び合いによる仕事の創造と革新(質の高い仕事)

◯現場の体験から編み出される「仕事哲学」(独自性)

◯仕事を通した社会との出会い・社会への参加・問いかけ(社会性・公共性)

 =WISEの目的

◯労働によって生産されるものの価値(社会的有用性)

◯労働過程が持っている価値(就労困難者の包摂)

◯労働の結果として得られる生活賃金(事業性)

 →社会的企業としての協同ネット運動の追求

 

講演のまとめとして

◯「8050問題」は「社会の問題」と腹をくくらなくては、解決しない。

◯「社会が優しく」ならなくては。ファイナンシャルプランナーとか、「親が死 

 んだら」とか必要だけど、「寂しい話」で解決させてはいけない。

「もっと希望のある話」をしなくては。一人ひとりが受け止めないと、解決し 

 ない。

◯いっしょに「希望」を作っていかないと。「社会からのメッセージ」が起これ 

 ば、若者は出てくることができる。

◯「不幸な状態に落ちいった家族」と個人の問題にしてはいけない。誰にでも  

 起こりうること。

◯社会に「転換期の課題」と突きつけられているととらえること。

◯若者自身が、「今、自分が置かれている社会」は「どんな社会か」と相対化し

 て考えること。

◯社会全体が、「働くこと」を、「幸せに働くこと」を問い直す時期にきている。

 彼らは人間らしく働きたいだけ。「贅沢な生活」とかでない、

◯学校は「ソーシャル・キャピタルの中の資源のひとつ」と思えばいい。

 

まとめを作成してみて(遠藤)

 

パワポの資料を見ると、あと半分話す時間があと90分必要なくらい盛りだくさんでした。後半、「学校への提言」などは、後のシンポジウムのところでふれます。

特別報告:

「8050問題」の取材を通して

                              清川 卓史

                          (朝日新聞編集委員)

※清川さんから「印刷用のパワーポイントの資料の公開」を許可していただき 

ましたので掲載します。なお、無断での転用は固くお断りします。

 

はじめに

 私自身は、教育関係の取材をしていたわけではない。介護、認知症の取材をしている中で、「8050問題」に行き当たった。介護離職の取材をしていたとき、元ケアマネの方が、「離職して2年くらい経つが仕事に戻れる気がきない」

と語っていた。

また、生活困窮者自立支援法の取材でも「8050問題」に行き当たった。佐藤さんのお話は若者の側からであったが、私は親の側のところに視点をおいて、お話を進めていきたい。

 

1.「8050問題」とは何か

 厳密な定義があるわけではない。

「ひきこもる中高年の未婚の子と高齢の親が同居する家族の問題」と捉える。

樋口恵子さんは、団塊世代は、きょうだいで親を看ることができた最後の世代。今は、長男・長女。ひとりで親を看ることになる。

一番の問題は「見えにくいこと」。現役世代の子どもと同居しているので民生員の対象から外れる。

親に経済力があり、年金もそれなりにもらえているから、カバーできる。

長男がひきこもりの上、娘が離婚して実家に身を寄せていて、孫の学費まで見ている高齢者がいる。自分のためのお金は少なく、生活苦しい。

 

2.70代 80代の親たちの切実な声

・「親がいなくなったら、この子はどないなるんやろ」

・「子どもの暮らしがすべて親にぶら下がっている」

 (あの子は、お金がなくなると、そのまま餓死してしまうだろう)

・「愛情はあるけれど、どうしていいかわからない」

・「親より先に死にたい、と言われるのがつらい」

・いったい私は、いつまで保護者なのでしょうか

◯80年代後半 「パラサイトシングル」というのがあった。割合、裕福な独 

 身の子どもが親と一緒に住んでいるというもので、「8050」は、それとは

 違いそんなゆとりはない。

◯一定の年金をもらっているし、きょうだいが少ないから、面倒をみることが 

 できる。経済的にゆとりがないときは「養って」と言われてもできなかった 

 し、きょうだいが多いときは支えられなかったが、今はできる時代になって 

 いる。

 

3.関心の高まり

・急速に関心が高まってはいるが、新しい問題。朝日新聞の記事検索では3件

 だけ。

・2016年11月であるが、他紙もだいたい似たような時期。新しい言葉で 

 あり、インパクトがあるが、問題としては2016年くらいからみえていた。

・少し前から指摘している人もいる「同居中年シングル」

・最近は「事件」が取り上げられるようになっている。

 例えば、北海道新聞「札幌で3歳(母)と52歳(娘)が孤立死」

・もうひとつの事件

 「8050」という言葉は使われていなかったが、「認知症80代の母、70

 代父、介護していた娘(40代)が無理心中」父母が死亡し、娘が逮捕。

 

4.家族会との出会い

・最初に取材したのは「KHJ 全国ひきこもり家族会」

・2017年は、親が平均64歳  子が平均34歳くらい。

 高齢になって、本当に厳しくなっている場合は家族会にも来ることができな 

 くなる。

・講師であるファイナンシャルプランナーが、60代でも「お子さん」と呼ん

 でいて、ものすごく違和感があった。

・父・息子で「価値観の葛藤」あり。リーマン・ショック後、仕事を辞めて、

 ひきこもった息子が怒るとモノを壊したりするので、怒らないとか…

 

 

5.深刻化の背景

・「高齢の親と未婚の子」と「3世代」の割合が逆転してきている現状がある。

「子」の視点から見ると、「標準ライフコースの消滅」

 就職氷河期世代  ロストジェネレーションの世代が中高年化

・一旦、仕事に就いて、離職するケース

 初職が非正規だと抑うつ(メンタル)、未婚率が有意に高いという調査がある。

・介護離職 →年間9.9万人

・奨学金という借金を抱えた中高年の増加(奨学金破産)

 親の視点から見ると、超長期化する老後

・日本高齢者学会では、「高齢者は75歳から」という。ということになると、「70代でも保護者」ということも。そういう状況は、現場ではすでに現れて

 きている。

・生活困窮者

 高齢の親と未就労の子。親子を生活保護につなごうとするが「子」が面談に

 来ない(拒否)。そうすると、公的支援のルートに乗れない。

 

6.「親亡き後」問題

・相談は親からが多い。本人からもある。きょうだいからもある。

・名古屋では「サバイバルブック」を作っている例。親が亡く 

 なったあとのことを書くハンドブックのこと。

 

7.家族(自己)責任論の壁

・「世間からは過保護だ、甘えだと言われる」

 (名古屋市のひきこもり家族会で出会った親たちの言葉)

・昭和から岩盤のように残る家族主義

・家族問題に押し込めることで見えにくくなる問題。かつての「介護」問

 題、「貧困・生活困窮問題」とも共通する構造

・家族責任のみで問題をとらえる限界

 

8.変化の兆し

・KHJ全国ひきこもり家族会連合会が長期・高年齢化に関する声明(3月の 

 シンポ)、実態調査求める。

「社会の支援がないと支えきれない」「まだ一部の問題ととらえられてい

 るが、社会問題として提示したい」(伊藤正俊・共同代表)

・当事者発信 引きこもり当事者50代男性が「8050問題」を語る

 (OSDよりそいネット1周年記念シンポ、7月)

・当事者メディア「ひきポス」創刊

・当事者ミィーティング

 

9.ひきこもり・社会的孤立の「社会化」へ

・英国に「孤独担当大臣」成人900万人超が「孤独」。

 高齢者の5人に2人「一番の友人はテレビかペット」。

 子ども、障害者、移民も。

 今年中に「対孤独戦略」、「孤独の指標」確立も目指す

・アメリカでは、「孤独は1日にタバコを15本吸うのと同じくらいリスキー」

・介護、貧困問題の取材をしてきてみて、1970年代・80年代くらいまで、 

 サポートは皆無だったと言える。

・家族責任や自己責任では限界。自己責任になる背景が根本から変わってきて 

 いる。

・この問題が社会化されていく転換期にあると考えている。

 10年〜20年後、自分や家族が孤立しひきこもらないとは言いきれない。

・社会的孤独の放置は、社会的損失と考える。

 

※まとめ担当から

「学校への提言」はシンポジウムの中で発言していただくことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンポジウム:

「子ども・若者の育ちと学校教育の課題」

佐藤洋作   清川卓史   Sさん(チャレンジスクール勤務) 

司会(世話人・綿貫)

 

Sさん:自己紹介を兼ねて

 チャレンジスクールに務めている。担当は体育。始めに卒業生の話をしたい。

Aさん:「ココ」は「普通」じゃない子が来るんだよ。そして、相手を慮る(おもんばかる)ことができる子が来る。「普通高校」にはレールがあるけど「ココ」では自分でレールをつくる。「子どもと子どもがアメーバー状につながっている」と言う。退学した子を指して「あの子たちは生きていける」と言う。Aさんは正社員ではないけれど、高校で見つけた「写真」の仕事をしている。

Bさん:「おまえは普通じゃない」と家族に言い続けられてきた。「虚弱体質」今は、地元でゆるやかに働いている。「コミケ」の仲間と関係が続いている。フラッシュバックは25歳で止まった。「なりふりかまわず」は今の僕にはできない。今の状態から降りるのが不安。「中途採用には厳しい社会だから」と言う。

 わたしは体育の教員。教科の中で「先生といっしょにやると走れるし、25メートル苦しくない」と言う。「生物的年齢」と「暦年齢」には、上下3歳の差があると考える。幅がある。「うちの子たちは、生物的発達年齢が遅い・低い子が多いかもしれない」と思っている。「自分のペースで走っていい」と言われて驚いたという生徒がいる。持久走ができるようになったのは「走り方を教えてもらったからだ」と言う。

 高校生で「ギャングエイジ」をやっているような子たちがいる。この子たちに、成長が見えるときがくる。それは、同年齢に認められたと実感したとき、「あこがれの先輩」に出会ったとき、「あこがれの先輩」とみられるようになったとき。

 

司会:Sさんから、佐藤さんと清川さんに質問していただきたい。

Sさんから佐藤さんと清川さんに質問:

Aくん、Bくんは正社員ではない。「ビジョンが見えない」と言う。どうした

 らいいか。  

②「社会が寛容」でなくなったのはなぜなのか。

③「助けてと言える教育」が学校でできるか

 

佐藤:

「どう働くか」社会全体がイメージを持ちえていない。「未来ビジョン」は私自身も見えない。一緒に、小さなところから、一つひとつやっていく。そこに戻ること。「世間があってよかった」と思えないと「自分を守ることに終始する」  文化運動が必要なのではないか。生活していくという観点だけでは厳しい。

「子どもの権利条約」に基づいて、学校教育を行ったことがないのではないかと思う。

「多文化共生教育」が必要。

清川:

「助けてといえるように育てるには」に答えたい。それを言う相手と言う先がわかっていないと不可能なことだから、学校で、情報をきちんと提示しておくことが必要なのではないか。

 

※ここで、フロアーから質問を受けての展開になった。(詳細の記録は省略する)

 

1.引きこもっている間、何をしていたのか。

清川:

(取材の範囲であるが)ひきこもっている人にもいろいろある。・純粋に部屋から出られない ・近所のコンビニとかには行ける ・図書館には行ける ・夜はネット というように、レベル・段階でいろいろ違う。

長期化している人は、「アルバイトとかして、うまくいかず長期化」というパタ―んが多い。

佐藤:

長期化している人でも「ぼーっとしていた」(覚えてないと言う) 今のオンラインゲームは人間関係。今回ICD−11でアディクションに認定されたくらい。

彼らは「引っ張り出してもらうのを待っている」「〜しようよ」という言葉かけが必要。誘われても、自分から行かない(プライドがあるから)。でも言葉掛けが必要。

Sさん:

漫画を描いているという子がいた。母が入院している間は、家事をするけど、母が退院すると、また何もしない。

 

2.「身体性が大事。不快を乗り越えて、快を感じる」逆に「感覚過敏」が増えていると思うがという質問に答えて

佐藤:

(専門ではないが)自分と外の境界が崩れているから、「守っている」ということがあるのではないか。私の身体がココにある。自然にいられるのが「居場所」。

安心できると、じゃれ合う。密着した身体接触含めて、やり直しているのではないか。

Sさん:

遊びを経ていない。運動感覚が育っていない。自分の身体を操る感覚を経ないと、筋肉もできていない。さまざまな運動を通して体幹をつくることが大切であると考える。

 

司会:

「8050問題」を社会の課題として受け止める。

「学校教育」はどう引き取るか。

清川:

(「学校教育の取材でない」が)社会問題としてとらえることが前提。「認知症とともに生きる」のは、だれでもなる可能性がある。学校教育にも通じることがあるのではないか、「ライフプラン」をいっしょに考えることがあってもいいのではないかと考える。

「孤立」につながる問題はみんなの問題。中・高で学ぶ必要があるのではないか。セイフティーネット含めて、学んでいくことが必要なのではないか。

「就学援助知らない」「生活保護は借金と思っている人がいた」という実態がある。学校で考える時間できないか。

Sさん:

教員が忙しい中、「人材教育自立支援チーム」なるものが登場した。福祉や進路の問題が生じたら「特別な人」に任せる。学校の業務が分化している。忙しいから、助かってはいるが…「何か違う」と感じているところもある。学校は、子どもの成長を待てる場であってほしい。それから「学力」のこと。性教育をしているが、生徒は「生きる目当てになること」を学びたい、知りたがっている。

佐藤:

「助けと言えること」は自立のベース。日常で「自己決定」保障、「自己責任」も含めて学ぶ。何かが前進するとか、「参加すれば変わるんだ」という実感が根本になるように、共に決定していく。「やりたいことがわからない」と言う。

学校では、いろんなことをやらせてほしい。「リアリティ」に出会うことが必要不可欠。何でも学校が背負うのではなく、開放してあげたい。もちろんそれには、受け入れが社会にあることとセットでなくてはならないが。

教師や学校は大きな社会的資源、民衆が勝ち取ってきたもの。「そこでなんでもできると思わない」ていい。学校と外が共に「日本の教育システム」を問い直すときにきているのではないか。

「学校をなんとか」とばかり考えてもダメではないか。学校も、NPOも、当事者も、保護者も。教育行政は担当者によるが、一緒にやれる人もいるし、やる気を出してくれると事が進むのが早い。例えば、不登校受け入れの「特例教室」を作った東京:調布のように。

 

司会:

まとめに代えて

マイケル・ムーア「世界侵略のススメ」。フィンランドでは「幸せになるために学ぶ」と言う。「学校」以外にも、学ぶことはたくさんある。

 

社会の豊かに受け皿がないとダメだけど。学校内外で議論できるところが必要だと改めて思った。